八ヶ岳中信高原国定公園
赤岳・横岳・硫黄岳
赤岳(2.899m)・横岳(2.829m)・硫黄岳(2.760m)

自宅発3:15→3:50中央高速諏訪湖SA4:15→諏訪南IC→5:00美濃戸山荘登山口5:40→8:20行者小屋8:40→文三郎尾根分岐8:55→中岳、赤岳分岐10:25→11:30赤岳頂上12:15→13:00赤岳天望荘(泊)

美濃戸山行者小屋赤岳天望荘赤岩の頭赤岳鉱泉
地図はイメージです



2003年10月6日
単独登山になったことにより阿弥陀岳に登るかもしれないと話してきたが雪では無理することはできない。こうなると一時も早く八ヶ岳の盟主、赤岳を目指したいと思った。分岐では休み休み行けばと文三郎道を登ることにした。
小さくジグザグにつけられたルートは思ったほどきつくなく高度を稼いでくれる。登るにつれ周辺の展望も大きく変わってきた。またあれほど激しく舞っていた雪もサッと止んでしまった。慎重に行くことには変わりないが天候が回復しそうになってきて良かったと思った。目の前に長い鉄網梯子が現れた。滑り止め付きの軍手をはめていたが冷たいので冬用の手袋に変え取り付いた。先行していた男性二人組みも立ち止まっては休憩しながら登っていく。自分も休み休み登りきった。




文三郎道

長い網鉄梯子

雪が止んだ



緩やかになったが中岳、赤岳の分岐手前200m程は小さな石がさらさらと滑ってやはり歩きにくい。一歩一歩慎重に登った。中岳頂上と阿弥陀岳の岩場に取り付く何人かの登山者が小さく見えた。





文三郎道から見る中岳・阿弥陀岳



いよいよ赤岳山頂直下に通じる岩場が近づいてきた。下ってきた女性二人も鎖に取り付き慎重に降りてくる。入れ替わりに登り始めたが足元を良く見つめ気を入れて登った。急峻な岩場がしばらく続いたが高度は一気に上がった。このコース、登りより下りが怖さを感じるのではと思った。細い岩道を回りこみ梯子を上ると目の前が狭い山頂だった。




いよいよ岩場を

振り返ると阿弥陀岳

権現岳の先は南アルプス



山頂では先行していた男性二人、頂上小屋のある北峰から来たご夫婦、若い女性の単独者、入れ替わりに記念写真の撮影が続く。三角点の横には赤岳山神社が祀られていた。無事の登頂感謝と安全登山が続けられるようお参りさせていただいた。僅かの距離にある北峰に移動した。どんよりと覆っていた雲はどんどん流れ遠くの展望も変わっていく、更に良い写真を撮れればとしばらく粘ってみたが、余りの寒さに諦め天望荘 ●印 に向かい降りることにした。




赤岳山頂

北峰&頂上山荘



予定より早い時間に小屋に着くことができた。ストーブが焚かれた小屋は暖かく漬物とお茶のサービスでくつろぐことができた。落ち着くとここはやはりビールでリラックスとなる。遅い昼食は持参の潰れた小倉&マーガリンの菓子パンで済ませた。
今夜の宿泊者は30人程、混んではいなかったがゆっくりしたかったので4人用といわれる個室をお願いした。別棟二階の25号室だったが4人はとても狭いのではと思った。

夕食までの時間は外にでて展望を楽しんだ。野辺山の太陽、電波観測所の巨大パラボラアンテナはすぐに見つかった。地形を目で追うと登ったことのある特徴の飯盛山が小さく下に見えた。登山口である西側に目を移すと傾き始めた西日が雲間から透け、諏訪湖や茅野市、原村の町並みを照らしていた。やがて少しづつ青空も広がり、残された秋雲が紅く輝き始めたあと阿弥陀岳の肩越しに今日の太陽が沈んでいった。


紅く沈む夕日

麓の灯り(行者小屋の明かりも)

沈む夕日のワイド写真


夕食はバイキング料理となっていた。お代わり自由の豚汁に白いご飯、魚のフライにタラの芽のてんぷら、手の掛かった料理が8品ほど、料理は美味しく皆さんの評判は良いものであった。夕食後、別棟の談話室ではスライド上映で八ヶ岳の花写真を見せていただいた。その花の数の多さにびっくりすると共に花咲く季節、今度は女房と来たいなと思った。

談話室ではできたばかりの五右衛門風呂の話で盛り上がっていた。大人4人が同時に入れる大きさの釜で、湯温がぬるかったのか入った人は寒くなってしまったと話していた。ちなみに料金は1000円だそうです。風邪を引くといけないので私は止めといた。消灯前、また外に出てみた。麓の家々から灯りが小さく瞬き、光の帯は遠くまで続いていた。しばらく体が冷えるのも忘れ見続けてしまった。



2003年10月6日 撮影

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